その地域、風土の特色を強く反映していた。 移動手段や情報も限られているので、自分の住む狭い地域を世界の全てだと考えるのは当然のことだった。
大地の中央は低地になっていて、大きな川がそれを二つに分けている。 大地の四隅には山があり、その山々により天が支えられている。
大地の中心に高い山があり、太陽や月、星は山の周囲を回っている。 大地は半球状をしていて三頭の象の背中に乗っている。 そしてその像は巨大な亀の上に乗り、亀は巨大なヘビの上に乗っていて、これこそが全宇宙だ。
天は円盤形であり、大地は四角形をしている。 天は北極を中心に太陽や月と共に東から西へ一日で一回転する。
今から2500年前の古代ギリシャに突如まったく異色の宇宙観が登場した。 このような宇宙観を生んだ人類史上に輝く革命的な思想を自然哲学という。 自然哲学では自然現象を神の手によるものだとは考えなかった。
ギリシャ人の祖先たちは、ヨーロッパの内陸部で牧畜を営んでいた。 紀元前2000年頃エーゲ海周辺の地域に移り住んできて、その周辺に元々存在していたトロイやクレタという古代文明を滅ぼし、征服した民族を奴隷にして勢力を拡大していった。 集落の周囲には城壁を築き、そこを中心にしたポリスという都市国家をいくつも作った。
初期のポリスでは、他の古代の国のと同じように王や貴族が広大な土地を所有し、一般民衆を支配していた。 ところが商工業を営む民衆の中から巨万の富を得るものが現れるようになった。 彼らは陶器などを生産し、それを海上交易することにより財を成した。
初期のポリスでは他のポリスとの間で戦争が相次いだ。そこで経済的に豊かな商人、農民たちは自ら武器を購入して鎧に身を包み、貴族と共に戦った。 結果、民衆は政治的な発言力を高め、政治を独占していた王や貴族に対して参政権を要求するようになった。
こうして民主主義への移行が始まり、王や貴族の力が弱まっていくと、人々は神話に疑問を持つようになった。 なぜならば神話は支配者のための物語という側面があるからだった。
そうして生まれたのが、神話に頼らず、人間の頭で理解できる合理的な思考である自然哲学だった。
自然哲学の祖とされるのが、ギリシャ人の一派であるイオニア人のタレス。 タレスが考えたのは、世界の始まり(アルケー)は何なのか?ということだった。 タレスは水だと考えた。
タレスは、大地は水の上に浮かんでいるという世界観を持っていた。
タレスの弟子であるアナクシマンドロスは、「水がアルケーならば、火も水から生まれることになる。 そんなのおかしいじゃないか」と考えた。 そこで彼の考えたアルケーが、ト・アペイロン(無限なもの)だった。
この世に存在する全ての物質、性質を持つ存在がト・アペイロンだと考えた。 宇宙の最初にあったものはト・アペイロンであり、やがてそれが霧と炎に分かれ、霧が固まり大地になり、炎が天となった。 大地は厚い円盤形で、宙に浮いている。
炎である天は浮き輪の形をしていて大地を囲んでいる。 浮き輪には小さな穴が沢山あいていて、そこから内部の炎が見える様子が太陽や月、星の輝きとして見えるのだという宇宙観。 日食や月食が起こるのは、穴が一時的にふさがるためだと考えた。
大地は球だと最初に主張したのがピタゴラス。 球がもっとも完全で美しい立体だと考えたから。 彼にとってのアルケーは数だった。
宇宙についてはふれなかった。 むしろ、宇宙の問題を考える者を切り捨てた。
ソクラテスの弟子プラトンは、球体である地球が宇宙の中心に浮かんでいると考えた。 地球が何の支えもなく宇宙に浮かんでいる理由としては、宇宙全体は均質なので、中心にある地球はどの方向にも偏らずに静止しているのだと説明した。
宇宙の構造については、タマネギの皮のように何層も球が重なったものを考えた。 太陽や月等はこれたの天球に張り付いていて、天球の回転と共に移動するとした。 この中心に地球があり、周囲を天球が取り囲むという宇宙モデルを地球天球説という。
プラトンの弟子であるエウドクソスは、27個の天球が複雑に回転する宇宙を考えた。 プラトンの説では、惑星の運行を正しく説明できなかったから。
プラトンの弟子であるアリストテレスは、エーテルという特別な物質で宇宙は作られていると考えた。 エーテルは生成することも、消滅することもない特別な存在と主張した。 宇宙の構造についてはプラトンの地球天球説を受け継いだ。
月と太陽の大きさを測定して、太陽がとても大きいことを知る。 宇宙の中心にあるのは地球ではなく太陽なのではと考えた。 コペルニクスよりも1800年も前に地動説を考えたのだった。
視差を使い、月までの距離を正確に測った。 地球の歳差運動を発見。
周転円モデルの宇宙観を持った。 惑星は地球を中心に円運動をするだけでなく、円運動をしながら地球の中心に回っていると考えた。
宇宙の中心には土と水からできた地球があり、その周りには空気の層と火の層がある。 そしてその外側に星がはりついた天球がある。 惑星の細かな動きは天使が調整すると主張。
アリスタルコスの地動説と出会う。 その後太陽中心の宇宙像を説明する『天球の回転について』という論文を完成させる。 ルターはコペルニクスのことを「聖書を否定し天地をひっくり返そうとする馬鹿者」とののしった。 普段動いているのは太陽であって地球ではないと聖書に書いてあるではないか、とルター。
ブラーエの時代、まだ天体望遠鏡が発明されていなかった。 ブラーエは肉眼による天体観測の天才といわれた。 コペルニクスの地動説には賛成できなかった。
ブラーエの助手、ケプラーは惑星の軌道は円ではなく、楕円であるという発想に至った。
宇宙には無数の太陽があり、その周囲を回る地球のような星も無数にあり、宇宙は無限の大きさを持っていると考えた。 宇宙人の存在も想像した。 無限の能力を持つ神が、有限の大きさの宇宙しか作れないわけはないと考えた。 この考えは、ローマ教会教えと対立し、やがてブルーノは逮捕され、火あぶりに処された。
オランダの眼鏡屋が偶然発明した望遠鏡のウワサを聞いたガリレオは早速自分で作ってみて、宇宙へ向けた。 望遠鏡で初めて宇宙を覗いた人物はガリレオだった。 ガリレオは月を見て、くぼみをクレーターと名付けた。
ガリレオが作った望遠鏡は、口径4センチ、倍率30倍の今ならばおもちゃみたいなものだった。
地動説を公に主張しないよう宗教裁判により誓約させられたが、その後も地動説を主張し、再び裁判にかけられ、有罪の判決を受け地動説を放棄することを宣誓し、軟禁されて余生をおくった。
ガリレオが亡くなった翌年に生まれたのがニュートン。 リンゴが地面に落下するのと、月が地球の周りを回るのは、万有引力、すなわち重力という同じ力によって引き起こされていることを見破った。 宇宙観は大きく変わり、人々は地動説を信じるようになった。
万有引力:離れた相手に対して直接触れることなく伝わる力。
万有引力の法則:二つの物体の間に働く万有引力の大きさは、二つの物体の重さの積に比例し、物体間の距離の二乗に反比例する。 この法則は、後に天体力学を生み出した。
ニュートンの盟友だった。 ニュートンの代表作『プリンキピア』は、ハレーがニュートンを説得することにより世に出た。 ハレー彗星の発見者。 ハレー彗星が今度地球に接近するのは、2061年の夏。
天王星を発見した。 1786年に島宇宙仮説を発表した。 多くの星雲を観測した。
海王星を発見した。 ガレが使っていた望遠鏡は、ベルリン天文台の最新鋭の屈折望遠鏡だった。
冥王星を発見した。 冥王星問題
光の速度を初めて計測した。 光が一年間に進む距離が一光年で、約9兆4600億キロメートルになる。
相対性理論を発表した。 相対性理論は「物体があると、その周囲の空間は曲がる」という心理を明らかにした。
人間の体や地球ぐらいの大きさではほとんど曲がらず、太陽ほどの巨大な天体になってはじめて、周囲の空間の曲がり具合が光の進路に影響を与えるようになる。
宇宙は小さな宇宙の卵から生まれたという説を唱えた。
「すべての銀河が私たちから遠ざかり、しかもその後退速度が銀河までの距離に比例していることを発見した」と発表した。 これが宇宙が膨張していることをしめす決定的な証拠になった。
つづく
科学は、自然現象を理解する際に「神様がそうなさった」、つまり、人間には理解できない、ということをできるだけ減らしていこうとする学問です。
2012-05-21